イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

無料語学学校で英語力が伸びた話6 先生の成長、私の成長

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最初は事務的で無表情な先生たちも、2週目をすぎるどんどん変わっていった。

 

1日の授業時間は2時間。その2時間を4人の先生が交代でまわして教える。

先生たちは1つのテーマに関連した教材を用意し、授業に一連の流れを作ってくれた。たとえば、1人の先生が社会問題に関する英単語を教えてくれる。

その後、別の先生がチェルノブイリに関する資料をリーディング教材として使う。

次に、同じリーディング資料を使って文法の解説が始まり、ディスカッションが行われる、という流れだ。

 

この教え方はとても印象的だった。

私はこの授業のおかげで社会問題に関するたくさんの語彙を手に入れ、原発問題について話せるようになった。

 

また、デイビッドに特別なエッセイの課題をもらってからというもの、私は先生たちに注目されるようになった。

先生たちは、私を研究対象としてロックオンしたのだ。

 

新米先生はじめ、指導教官の2人の先生も私の名前をすぐに覚えた。

そして、私がどのくらい理解したか、こまめに質問してくるようになった。

そして、エッセイについてインタビューしたい、というオファーをもらった。

インタビュー内容はしっかりと録音され、先生たちの間で共有された。

私のまちがった文法も、発言のひとつひとつも、先生たちはよってたかってチェックした。

そして、授業のたびに私の机のそばを横切り、「これから彼女はどこまで成長するかしら?」と、私の話す内容に耳を傾けた。

 

そんなことをされたら、私もぼんやりしていられない。

辞書とノートにかじりついてばかりいた私は、なるべく顔を上げ、先生の質問に耳を傾けるようになった。

顔を上げると、「表情がない」と思っていた先生たちの顔が、実は緊張してぎこちないだけだと気づいた。

先生もやっぱり人間なんだなと思うと、親しみを感じた。

私が教育実習で緊張したのと同じように、先生たちも緊張しているんだ。

日本では絶対にありえない致命的な板書のミスも、発音のミスも、彼らが授業研究を怠ったから起きたのではない。

緊張から起こっていたものなんだ。

そう思ったら、反発する気持ちも弱まった。

 

また、もう1つ自分の殻を壊すことにした。

 

間違ってもいいから、発言しろ、声を出せ

 

私は、海外の授業スタイルが苦手だった。

先生の質問にいちはやく答えようと、忠実な犬のように待ち構える生徒たちのテンションに恥ずかしくてついていけなかった。それで、答えがわかっていてもなにも答えずに過ごしていた。でも、間違ってもいいから、発言するように心がけてみた。

すると、自分の得意分野が見えてきた。

私は誰よりも早く、難しい単語を言い当てることができたのだ。

驚いた。正直、単語を覚えることは一番の苦手だったから。

英語を話すとき、私は会話の途中ですぐに委縮するようになった。

しゃべりだしてもすぐに行き詰り、「えっとね、あれ、あの単語…なんだったかな」と、口をつぐんだ。

緊張すると大切な単語が思い出せなくなり、長くしゃべることができなかったのだ。

 

でも今は、1枚の写真を見て思い浮かぶ単語を言え、と言われたら、だれよりも多くの単語を、そして難しい単語を口にすることができるようになっていた。

単語帳を最後にみたのは1年前。

でも、私の頭の中には、そのときの単語がしっかりと根付いていたのだ。

辞書にかじりついていた日々は無駄ではなかった。

 

そんな私の語彙力に一目を置いて、放課後、生徒たちが恐る恐る私に話しかけてくるようになった。

「どうやって単語を覚えたの?」

「今はイギリスで働いているの?」

やがて彼らとワッツアップで連絡先を交換するようになった。

セカンドハンドの自転車屋や、評判のいいレストランを教え合ったり、ときにはおうちにお茶に招いてもらったりした。

地元の花火大会にみんなで出かけて、イギリスのコメディアンやテレビ番組について話し、心の底から笑うようになった。

語学学校の帰り道、一緒に自転車をこいで、その日習った単語を使って会話の特訓をした。気取って「土砂降りにならなきゃいいけど」とつぶやいたり、おもいつく限りの「素晴らしい!」という意味の単語を絞り出して、褒めあい合戦をしながらボキャブラリーを増やした。

大通りに出てもおしゃべりは止まらず、車に激しくクラクションを鳴らされた。ときには先生も帰り道が同じになり、みんなでしゃべりながら、満開のこぶしの花の木の下を歩いた。

(こんなことをしていたから、帰る時間が遅くなり、主人はイライラしていた)

 

私たちは、20代後半から40-50歳まで幅広い年齢層だったけれど、それぞれがかつての青春を思い出していたのかもしれない。

一緒に授業を受け、下校の雑談を楽しんだ。

10代のころと違ったのは、放課後にパブでビールを飲むこと。

 

そうして、先生も生徒も分け隔てなく付き合っていたから、語学学校の後半は、生徒と先生の意気込みが感じられる、そして議論が白熱する、ワクワクする授業の時間になった。

授業内容はどんどん難しくなり、ときには頭がパニックになったけれど、「みんなで取り組む」ということが、私にとって初めてのことで心強かった。

短時間で長文を読み、先生からガンガンと飛んでくる質問に答え、答えに窮すると、生徒の誰かがヒントをくれた。

ヒントに感謝しつつも、仲間へのライバル心や嫉妬心が沸き上がり、さらに勉強を重ねた。

リスニングは、聞き取れなかった単語についてみんなで議論し、答え合わせをした。

 

そうやって、みんなで議論しながら答えを導くやり方は、日本の英語教室でやったことがない。

みんながどうやって答えを導くのか、どこまで内容を把握しているのか知ることで、私もコツをつかむことができた。

そんな生活を続けていて、はたと気づいた。

私の日常のリスニング能力が、飛躍的に高まっていたのだ。

 

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