イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

闘病ブログの役割

私は自分が病気になってから、闘病ブログをよく読むようになった。

それは私の病気についてのブログだったり、その病気の親戚に当たる病気(と先生は呼ぶ)、私の病とはまったく関係ない病気のものだったりする。

 

血液検査の結果、食べたもの、入院している病院名、飲んでいる薬の種類、量、便のことだけでも驚いたけれど、もっと驚いたのは、ブログに添付された画像だった。

むくんでしんどそうな顔、体重計の数字、血液検査の数値や検査結果、やせ細った体、点滴を打っている自分の腕…

摂食障害の方のブログには、その日食べた食べ物をすべて並べた写真が毎日掲載されていたし、精神疾患で苦しむ方のブログには、突如として血まみれのティッシュの写真が出現してドキッとした。

闘病中に創作した詩や小説をブログで発表している方もいた。

 

伝えたい思いがあってブログを更新するのなら、わかる。

でも、病気に苦しむ自分の顔や医学的数値、病状を物語る写真は果たして公開する意味があるのだろうか?なんのために?

そんな疑問がずっとずっとうずまいていた。

 

同じ病気の人と、治療に関する情報をシェアしたい気持ちはわかる。でも、病状も環境も、主治医の考え方、患者本人の選択も様々。ブログで公開された他人の数値データなんて、だれが見たいと思うのだろう?

私はそれがずっとずっと不思議だった。

 

 

ブログは、同病者のコミュニティ

 

どんなにいい環境に恵まれていても、病気の苦しみから孤独になってしまうことは私も身をもって実感した。

とくに孤独を感じるのは、以下の3つのパターン。

 

1.相手に理解してもらえなかったとき

2.痛みがつらすぎて、通常の生活ができない自分だけが取り残さた気分になったとき。

3.相手に特別扱いされたとき

 

まず、私は主人に理解してもらえず苦しかった。自分でさえ自分の体になにが起こっているのかわからず、どのくらい休んだらいいのか、どのくらい無理をしてもいいのかわからなかった。主人はそんな私のことがなおさらわからず不機嫌になってしまうことがよくあった。一番近くにいる人間に理解してもらえないのは、病気の痛みや苦しみと同じくらい切ないことだった。理解してもらうためになるべく通常の生活をしようと心がけるものの、さらに体調を悪化させて自分が嫌いになる。

もし相手に理解してもらえたとしても、相手が自分のために時間や労力を使ってくれることが申し訳なくて、今までみたいな対等な関係に戻れないのではないかと、孤独にさいなまれる。

 

そんなときに同病者というのは、本当に頼もしい存在。

自分と同じような状況におかれ、自分と同じ苦しみを経験している。

同病者とつながり、共感できることは、孤独から救われることにもつながる。

 

私の場合、残念ながらブログで同病者とつながることはなかった。

でも入院中、同室の3人の存在に、すごくすごく励まされた。

お互い、世間話をすることはなかった。挨拶もせずにベッドの中にこもっていた。

でも、みんな知っていた。自分の病気と一生付き合っていかなければいけないことを。

同じ薬を使っているから、その副作用や検査に伴う痛みや苦しみを共有していた。

ご飯が食べたいのに食べられないとか、体調が悪くて思い通りにできないもどかしさも知っていた。

ときどき、ひっそり泣いているのが隣のカーテン越しに伝わってくる。

 

自分だけじゃない、と分かると、頑張らなきゃと思えた。

 

私は入院したから同病者に出会えた。でも、世の中には出会えない人もたくさんいる。

稀な病気の人、病状が深刻なために同じ立場の人に出会えず、孤独を感じてしまう人。

 

ブログは同病者をつなぎ、互いに影響を与え合う重要なコミュニティとして機能している。

 

医学的数値は、自己紹介

 

自分が病気になり、血液検査の結果や薬の種類を読むだけでいろんな情報を読み取れるようなった。

ブログやSNSで医学的数値を投稿する人を見ると、私はこれまでにない大量の情報をつかむことができる。

「ああ、この数値が出ているってことは、今足がパンパンにむくんで苦しいだろうな。熱も出ちゃったかな。」

「この薬を〇グラム数か月飲み続けているってことは、今の私よりちょっと症状が軽いくらいかな?」

「この人、同じような治療を受けているのに炎症がなかなかおさまらない。私と体質が違うのかな」

そんなことを悶々と考える私もいれば、もっとフランクに「ありゃりゃー、7月よりも数値下がっちゃってますね」なんて頻繁にコメントをして仲良くなっている方たちもいる。

 

これまで、医学的数値はプライベートなもので、人に公開するのはなんだか不思議な気がしてならなかった。でも、ある人にとっては挨拶の代わりだったり、うまく説明できない体調の変化を表現する手段なのだと気づいた。

 

闘病中の姿を人にさらすこと

 

私は入院中、家族以外の人に会いたくないし、お見舞いに来る側の配慮は大事なことだと思っている。病気で弱った姿を人に見られたくない。

でも今は、時代が変わっているのだろうか。平気で入院中の自撮り写真をアップする人が大勢いる。痛々しい写真をアップする人も多い。

みんなに同情されたいからやっているのかな?と思っていたこともあるけれど、いろいろと見ていて思ったこと。

「ブログやSNSで自分の病気を客観的に捉え、消化しようとしている人が多い」

自分の身に起きていることを受け入れるのには時間がかかる。

なかなかできないから、苦しいから、他者に見てもらえる場所に身を置き、なんとか自分と向き合う場所を整えようともがいている人が、なんて多いのだろうと気づく。

 

かくいう私もブログを開設しておいて、本当によかったなと思う。

今も結論がまとまらないままブログを更新し、感じるものを少しずつ整理して、心を落ち着けている。