イギリスの教会で、クリスチャンマインドを学ぶ 2
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※登場人物は仮名です。
クリスチャンユニオンで知り合ったイギリス人エマは、私のために週に1度、個人的に聖書を学ぶ時間、バイブルスタディの時間を作ってくれるようになった。
バイブルスタディはエマの試験直前にまで及んだ。
私には理解できない。エマは名門大学の2年生。進級がかかった大切な時期なのに、のんきな駐在妻の私のために時間を割いてくれる。
おそらくこれも、クリスチャンマインドからくるのだ。
キリスト教だろうがそうでなかろうが、聖書に興味を持った人がそばにいたら、理解に苦しんでいたら、そばに寄り添って手伝う。
自分の利益のためではなく、神様が喜ぶことをする。そして、そんな自分を偉いとか、善い人間だと思ったりしない。
私にはできない。自分の試験の前に、貴重な時間を駐在妻の学習のために割いてあげるなんて。
エマはほかの学生よりも信仰心が強かった。
裕福な家庭で育ったにも関わらず、質素な生活をしていた。
服は、イギリスでも安くて有名な「プライマーク」のもの。
クリスマスプレゼントは、「親からお金をもらって、クリスマス翌日のボクシングデー(セールの日)に安く買う」と言っていた。友達と遊ぶときも、ゲームをしたり映画を観たりとインドア派で、外食や飲み会に使うお金は少ない印象だった。
海外に住むと、日本人と友達になりたがる人たちによく会う。日本フリークで、いちはやく日本の情報を手に入れたいからだ。でも、エマは違う。私が日本人だから親しくなろうとしたのではない。聖書を理解できなくて不貞腐れ、苦しんでいる私を見つけた。だから、聖書を読むのを手伝おうとしてくれた。聖書読書会に入ったものの英語が苦手で理解できずに苦しむ私のために、個人的に話す時間を割いてくれた。
そんなエマを食事に誘ってみた。
「いつも聖書のことを教えてくれてありがとう。うちで日本のご飯を作るから、食べに来てね」と誘ったものの、エマは興味がなさそうだった。しかし後で聞いたところ、彼女はベジタリアンになったので、昔食べたお寿司やお肉のおいしい味を思い出すとつらいらしく、我慢しているらしい。ちなみに、酪農は環境によくないと考えていて、それでベジタリアンになったそうだ。
まだ22歳そこらなのに、神様や環境のためを思って我慢をしたり、「足る」を知る人間になろうと努力をするエマ。大学に進学する前には、学費をかせぐために1年休学してアルバイトをし、発展途上国で英語を教えるボランティアをしてきた、エマ。
エマの努力には、頭が上がらない。
エマは私に聖書の話をするとき、絶対に自分の価値観を押し付けなかった。
聖書に表現されたメタファー(隠喩)を、「あなたはどう解釈する?」と尋ね、私がうまく答えられなくても、たっぷり時間をとって、聞こうとしてくれた。
最終的にエマが意見を言うこともあったが、無理やり話を要約しようとしなかった。
だから私は、聖書の矛盾点や恣意的な表現を意地悪く批判したりせず、まっすぐな気持ちで向き合おうと思えた。
そして、エマは私の「ミラクルを信じられない」気持ちを汲み取ってくれた。
使途たちもイエスのミラクル・イエスの予言を信じることができなかった場面を引用しながら一緒に考えてくれた。自分が理解に苦しんだときのことも話してくれた。
そんなエマに、ある日私は、今の気持ちを話すことができた。
「私はクリスチャンマインドを尊敬するし、クリスチャンマインドを持った人間になりたいとも思っている。
でも、クリスチャンにはなれない。
私は日本で生まれた。日本は特定の宗教を持たない人が多い。私もその一人。
クリスマスのお祝いをすれば、新年に神社にお参りに行く。先祖のお墓は寺にあって、仏教式のお参りをする。
また、日本には「八百万の神」の考え方があって、もの・ことすべてに神様が宿っているという考え方がある。潜在的に、私もそれを信じているから、キリストがたった一人の神様だとは思えない。
私にとっては、天国に逝ったおじいちゃんたちも神様のような存在だし、この文房具1つにだって、神様の力がこもっているように感じる。
そんな敬意をすべて捨てて、「今からクリスチャンになります」という考え方にはなれない。だから、私は、一生クリスチャンにはなれない。」
こんな内容を、ある日思い切ってエマに話した。
せっかく聖書を教えてくれるエマに、申し訳ないと思ったからだ。
エマは私がクリスチャンにならないと知ったら、きっとがっかりするだろうと思った。
でも、エマはそんなことなかった。
私がこの話をしたあとも、変わらず火曜日になると、「今週はいつ、どこでバイブルスタディやる?空いてる日ある?」と誘ってくれた。
クリスチャンになることが、すべてではない。
一人の人間の心に、少しでも深く、クリスチャンマインドがはぐくまれたらいい。
エマはそんなふうに思ってくれたのだろうか。
エマがクリスマスの前に教えてくれたことが3つある。
「私たちは天国に逝くために祈るのではない。神を愛するから祈るの。」
「善い行いをしたからといって、自分を「善人」だと思ったりはしない。神を愛するからこそ、善い行いを重ねるの。」
「大きな声に出したり、道の真ん中で祈ったりしない。自分のプライベートな空間で、神に向けて静かに祈りをささげればいい。
信仰心を他者にひけらかす必要はない。祈りは神と自分の対話なのだから。」
そして、最後にこう言った。
「この聖書の箇所は、あなたが祈りをささげるときに、きっと役に立つと思う。」
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