イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

世界のとさつ現場を変えるためにビーガンになるべきか

※この記事には、動物に対する残酷な描写があります。苦手な方は読むのを控えてください。

 

フォーマルディナーでベジタリアンメニューを食べた翌日。私はいつものように中心街に買い物に出かけた。

昨日はベジタリアンメニューだったから、今日はお肉をたくさん食べるぞ!と意気込んでいた。買うべき肉の種類を頭の中で考えながら歩いていた。

 

私の住む町ケンブリッジでは、週末になると中心街でパフォーマンスが行われている。

パフォーマーの横には小さな缶が置かれていて、小銭を入れることができるようになっている。

この日は土曜日だったから、何人かのパフォーマーを見かけ、どこからか音楽が聞こえてきた。

しかし、観衆の様子がいつもと違う。

パフォーマーを動画で撮影する人がいるのはいつもと変わらない。しかし、観衆に笑顔が全くない。

パフォーマーは全部で8人。ガイフォークスの白いお面をかぶり、彼らの表情は見えない。彼らは背中合わせに円形に並び、手にはスクリーンを持っている。観衆にむかって、動画を披露しているのだ。

ちらっと見ると、その映像には動物が見えた。卵からかえったひよこたち。牛や馬。働く農家の人たち。平和の訴えかなにかかな?と思い通り過ぎようとしたのだが、なぜか離れられなくなる。

ひよこたちをじっと見ていると、突然ずさんな映像に変わったので驚いた。

たまごの殻とともにひよこたちがベルトコンベアにのせられ、どんどんと流れていく。雌雄の選別でもするのかな?とながめていると、そうではなかった。

ひよこたちは、高速で開いたり閉じたりする機械に吸い込まれていった。機械の下で、たまごの殻もろとも、粉々になってしまったのだ。

私たちには、ひよこが機械に吸い込まれていく一瞬しか見えない。機械の下がどうなっているのかはわからない。だからこそ、とても恐ろしい映像だった。

さっきまで生きていたひよこたちが、一瞬のうちに5匹も6匹も命を落としていく。

機械の動きは残酷だった。命を奪っているという感覚を私たちから奪うほどに、均一に動いていたからだ。

でも、もっと残酷なのは、私たちでもある。飽食時代の私たちは、衛生的で安心して食べられる肉では飽き足らず、安くておいしい肉を求める。

 

別の映像では、粗雑に扱われる牛や豚が映し出された。もののように投げられる子豚、雑に扱われて頭から血を流している子牛…

 

町の中にいるのに、思わず涙がこぼれそうになり、あわてて目をこする。

 

映像スクリーンを持ったアノニマス(匿名)集団は、なにも声を発しない。彼らのそばには募金箱も団体のPRもなにも置かれておられていない。無言で訴えかけをしているのだ。

彼らはマスクをしているから無表情に見えるものの、マスクの下から目を動かしてこっそり私を見ているのに気づいた。何時間もスクリーンを持って立っていることもつらいだろうけれど、みんなの悲しむ顔を何時間も見るのは、もっとつらいだろう。

でも、動物たちは痛くてもつらい環境でも、苦しい表情を誰にも理解されることないまま成長し、肉の塊として売られていく。ひどいときは、維持管理が大変だからという理由で、幼いうちにごみのように殺処分される。

 

これは、西欧だけの話ではない。私は、アメリカのずさんな酪農に関するビデオを見たことがある。特別な薬の入った餌を食べさせられた鶏はどんどん太り、自分の体が支えられなくなって脚が折れて座り込んでしまう。弱い鶏はその場で命を落とし、死骸や糞で汚れた養鶏場では、病気が蔓延するという。鶏もかわいそうだし、私たちが口にする肉も、安全ではない。

衛生環境の悪い牛舎で育った牛の肉も問題になった。その牛肉を仕入れたアメリカの有名なファストフード店で子どもが食中毒を起こし、死亡する事件が起こった。それでも、スーパーで取材を受けた主婦はこう答えた。

「トマト1個は、ハンバーガー1個よりも高い。それだったら、おなかがすいたらハンバーガーを買ってしまう。それが当然だと思っているわ。」

 

いろんなことを考え、ひとり悶々としているところに、若いイギリスの女の子が声をかけてきた。白くて、細い子だった。

「あなた英語話せる?このアノニマスのパフォーマンス、これまでも見たことある?」と。

「いえ、初めてです」と答えるとともに、自分が思ったことをつたない英語で話した。

日本では、アニマルウェルフェアの議論がヨーロッパほど盛んではない。だから、この活動に本当に驚いたこと、日本では、ビーガン・ベジタリアンは本当にわずかであること。すると、彼女も思ったことを話し出した。

「本当にひどい話よね、私たちがどれだけ動物の命を無駄にしていることか。あなた、ビーガン料理を食べたことはある?」

日本のお店で一度だけ食べたことがある。そう答えると、彼女は続けた。

「これからビーガンになろうという気持ちはある?私は強く薦めるわ」と。

私は、それについて答えなかった。

まず、理由はやはり、私の煩悩による。私はやっぱり肉が好きで、食べることはベスト3に入る幸せだから、肉や、動物由来の成分から離れるという選択肢はなかった。

また、もし私がビーガンを決意したときに、主人や、将来生まれてくる子どもにどんな影響があるのだろう、と考えた。彼らにビーガンを強要するつもりはない。イタリアでは、子どもにビーガン料理を食べさせることで栄養失調になってしまい社会問題にもなっているという。

 

そしてなにより。

ビーガンになることが、残酷なとさつを減らすことにつながるたったひとつの手段とは思えなかった。

 

私には、25歳の日本人の友人がいる。彼女は、牛をこよなく愛し、自分が理想とする酪農の形を探して、現在日本のあちこちをめぐっている。

彼女は、納得がいかないとオーナーとけんかしたし、牛好き仲間を通じて、いろんな酪農家のもとを訪れ、牛にとってのいい環境を考えている。

彼女はいろんなことを教えてくれた。牛のにおいが近隣住民に迷惑を与えないように、コーヒーの出がらしを牛舎にまいている農場があること。八丈島乳業の、おしゃれでこだわりの乳製品のこと。衛生面のために牛のしっぽを切る農家もいること。牛をストールという鎖でつないで飼育する方法があるが、これが必ずしも牛にとって「かわいそう」な環境ではないこと。農家は、牛に居心地よく、でも利益を出すためにあらゆる工夫をし、苦悩していること。

東日本大震災では、酪農で有名な飯舘村が、原子力発電所の爆発による被ばくで、全村非難となった。牛たちは避難できず、自分の子どものように丹念に育てた牛たちを置き去りにせざるを得なかった酪農家が何人もいる。悲しみにさいなまれ、牛舎で自ら命を絶った方もいる。

私はかつて、震災から3年たつ飯舘村に行った。3年たつのに、なにも変わっていない。「除染済」とされた土がビニール袋に入れて道のわきに積み上げられているだけ。ホームセンターは廃墟と化し、人が住まなくなった家は荒れてみるも無残だった。

仮設住宅は、「仮設」なので何年も住める構造になっていない。でも、そこから退去できない人たちが暮らしていた。寒さ防止、結露防止のために窓に貼られた梱包材にはカビが生えてしまい、衛生的にも心配だという話を聞いた。

そこで不便な生活を強いられながらも、酪農家の方は、「一刻も早く、酪農の仕事に戻りたい。自分の家に帰りたい」と話してくれた。

 

牛への愛情をもって、こんなにも悩んでいる人がいるのに、「牛を食べない」という選択で抗議するのは、やっぱり違う。

だから、私は「ビーガンにならない」と確信した。アニマルウェルフェアの問題については、別の方法で解決策を考えるのが合理的だと思う。

 

でも、あの映像を見てからというもの、私は肉のかたまりを切るときに、ちょっと気分が悪くなる。毎日のごはんはお肉をたっぷり使ったメニューだけど、自分はチーズや玉子でたんぱく質を補い、肉は少なめにとるようになってしまった。

日本人の私には、あの映像が刺激的すぎた。