イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

イギリスの医療の功罪と患者の捉え方

イギリスで、ディスカッショングループに定期的に参加している。

さまざまな国の人たちが週に1度集まり、その日のテーマについて話をする。

 

その日のテーマは、「医療」だった。

このテーマを聞いたとき、私は各国の人に聞いてみたいことが浮かんだ。

「もし、自分が深刻な病気だったときに、自分の国で医療を受けたいか、それともイギリスで医療を受けたいか?」

 

しかし、このディスカッショングループで議題を持ち出すことは容易ではない。

なぜなら、参加者のお国事情が常軌を逸しているからだ。

日本の私たちには計り知れない問題が世界に存在し、自分の問題意識など、とてもちっぽけに思える。

 

今日のディスカッションでは、だれがどんな議題を提示し、どう展開していくのだろうか。

 

まず、私たちのディスカッションで話題にのぼったのは、イギリスの医療制度、NHSについてだった。

イギリスでビザをとって半年以上滞在する場合は、同時にNHSに加入しないといけない。

これは、1年に400ポンドを支払うことで、イギリスでの医療が無料で受けられるシステムのことだ。こう書くと「それはありがたい!」「無料!?すばらしい」という声が聞こえてきそうだが、実際NHSの評判はかんばしくない。

たとえば「風邪をひいたので診てほしい」と連絡すると「そうね、1週間後に予約が取れるわ」と言われたり、ろくに薬も処方されず診断も信用できない、などなど…

私はイギリスでの妊娠・出産も検討していたのだが、あまりにもずさんなNHSの体制に、イギリスでの初産を決心できなかった。いくら無料とはいえ。無痛分娩を推奨しているイギリスとはいえ。

 

私とディスカッショングループになったのは、アラブ人のアイーシャと、中国人のジャンチュだった。彼らはNHSのことをどう思っているのだろう。

アイーシャは憤っていた。「渡英したときのことだけど。飛行機移動がつらくて、主人はイギリスに着いたとたんに腹痛と脱水症状で弱っていた。空港からすぐに病院に移送されたが、長く待たされたあとやっと点滴ができたわ。そのとき、なんて言われたと思う?「家に帰ったら肉でもなんでも食べていいよ」って。しかも、ろくに薬ももらえなかった。」

そして、「彼らの診断は、「診断」じゃない。ただの言語コミュニケーションよ。」とつぶやいた。

中国人のジャンチュは、「そうね、あれは栗の季節のことだったわ」と話し出した。

彼女の口調は文学的で、物語を聞いているような気分になる。

「子どもに栗を割りあたえていたら、手まで切ってしまったの。

それで近くの診療所に行ったのだけれど「もう閉まってしまうから、緊急電話の111に連絡しなさい。そこから総合病院に案内されるから。」と。夕方の4時のことだった。

 

彼女にはご主人と小さな娘がいたので、みんなで車に乗って総合病院へ。

病院には、息をするのもしんどそうななおばあさんがいて、ジャンチュは待ち時間が長いことに文句が言えなかった。そして、風邪のウイルスが蔓延する待合室にご主人と娘を待たせておくことがとても申し訳なかったという。

やっと診療してもらえたのは午後8時を過ぎた頃だった。もうすでに怪我の血は止まっているし、処置といっても本当に簡単なもの。

なんのためにここに来たのか、とあきれてしまったという。

 

私もひとつ、NHSについての経験がある。

イギリスに来て1か月が経つ頃、私は、自転車で派手に転んだ。チェーンが壊れ、後輪が浮いて前のめりに地面に突っ込んだのだ。

転んだ私は、鼻を打って鼻血まみれだった。ちょうど居合わせたアジア系のカップルが、とてもやさしく助け起こしてくれた。

「僕たちの顔が見える?」「一足す一はいくつ?」「頭がいたかったり気持ち悪くなったりしていない?」と、救急隊員のように私の体調をチェックしてくれる彼氏。

彼女は私のハンカチにミネラルウォーターをかけて、ぬれタオルを作ってくれた。自分の持っているポケットティッシュを全部くれた。

私が落ち着くと、彼らは去っていき、私はそのまま、近くの診療所に自転車を押してむかった。

診療所は、さほど混んでいなかった。

私が鼻血まみれのハンカチで鼻をおさえているにも関わらず、受付のおばさんは私の顔をちらっとみただけで、自分の事務作業に戻った。

待合室で待つ人はとくにつらそうに見えなかったので、私は思わず、「緊急で診てもららえないの?」とおばさんに向かって大声で言っていた。

そして日本語で「どうして気づかないんだろう」とつぶやいてしまった。

 

すぐに対応してくれたものの、診察室での対応は手荒かった。問診はなにもなく、「洗うわねー」と水にひたしたガーゼで拭いて、鼻を固定する数ミリの細いテープを貼って終わり。

転んだ私を助けてくれたアジア系カップルの方が、むしろ医者らしい問診をしてくれた。

あまりにもあっけない医者の診察に、私は食い下がった。

「あのー、日本だったら、脳に影響がないか確認したりするんですけど。」

医者は答えた。「ああ、そうね。もし具合が悪くなったら、総合病院に行くといいわ」

「日本だったら、飲み薬や塗り薬をくれるんですけど」

「ここでは処方しないわね」

「・・・せめて、鼻テープの予備くれませんか?」

「ああ、これ。あげる」

使いかけのテープの1つを、ポイっと私に投げた。

 

このとき、どんなに日本が恋しかったことか。

 

 

アイーシャとジャンチュの憤りは、薬にまで及んだ。

「イギリスは抗生物質をちっともくれない」というのが大きな問題だった。

彼女たちがあまりに憤ってガンガン話しているので私は話に入ることができず、ディスカッショングループをまとめるイギリス人のリリーが見かねて飛んできた。

 

ここでいったんグループでのディスカッションを中断し、メンバーみんなで、これまで話した内容をシェアする時間になった。

リリーが上手にまとめてくれた。

「あなたたちの国とイギリスの医療システムの共通点を2つ、異なる点を2つ教えて。」と。

まずは共通点から。

みんなが口々に言ったのは、やはり、「待ち時間が長い」ということだった。

「ああ、どこの国も同じだ」と思ったのもつかの間、アイーシャの発言から、アラブと日本の「待ち時間」がまったく異なることに気づかされた。

アラブでは病院にパソコンシステムがないので、個人情報の手続きに一層時間がかかるのだという。

そして、紛争が多いから、大きな病院には銃弾を受けた人が運び込まれてくる。

そうすると、必然的に風邪やその他の軽症者は何時間もあとまわしにされる。

 

…今こうして、同じ町に住み、同じように移民として同じ土俵に立っているような気持ちになっていたけれど。

私とアイーシャは全然違うのだ。

アイーシャはすごく英語が話せて、気働きができてしっかりしていて素敵な奥さんだけど、ここにくるまできっととても大変だったんだろう。

英国ビザをとるために、私たち日本人よりも多くのチェックを受け、財政証明に至っては、日本人が求められる以上の大金の提示が求められただろう。

体調が悪くなったからといってすぐに病院に飛び込むこともできなかっただろうし、アラブだから、女性差別だってたくさんあったはず。

 

「あんたみたいに、恵まれた医療の恩恵にあずかる選択肢のない人間だっているんだよ」と、アイーシャに言われたような気がした。

  

そして、スペイン人のアナがこんな発言をした。

「NHSのお医者さんは、どんなに深刻な症状でも、明るく接してくれる。うちの子どもが腕を骨折したときも笑顔で接してくれたので、子どもは動揺せずに治療を受けることができた。」と。

 

自分の国の価値観にばかりとらわれず、イギリスの良さを感じとるアナの寛容さは、ラテンのお国柄からくるのだろうか、それとも、たくさんの子どもを持つ彼女のたくましさから?

 

いろんな視点に気づかされる、

今日も今日とて、みのり多きディスカッションの時間だった。

 

 

※登場人物は仮名です。