イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

衝撃的なものを、子どもに見せるべきなのか

※この記事には、残酷な場面も登場します。苦手な方は読むのを控えてください。

 

結婚する半年前、私はひとりで北欧5か国を旅した。そのときに、日本を出発して初めて観光したのが、バルト三国のひとつ、リトアニアだった。

季節は10月。ダウンのコートを着るには少し早く、でも上着がないと肌寒い、紅葉がとてもきれいな時期だった。バルト三国の中でも、あまり観光化されていないリトアニア。首都ヴィリニュスは、女性の一人旅に最適だと改めて実感した。人々はだれも私にかまわない。

丘の上のお城に登って、赤い屋根の家々を見下ろす穏やかな時間は、すべて自分のものなのだと気づかされ、ぐっと感動したのを覚えている。

その後、私は意を決して、お目当ての場所へ向かった。

 

KGBジェノサイド博物館

私が生まれた1988年には、この国はまだリトアニアではなかった。

旧ソ連の支配下に置かれ、秘密警察KGBによってジェノサイドが行われていたのだ。

リトアニアは、1940年から1991年まで50年も占領され、80万人もの犠牲者が出たと言われている。

私は、海外のKGB博物館に行くのは初めてのことで、どんな展示があるのかほとんど知らなかった。そして、中に入ったとたん、ひとりでここに来たことを悔やんだ。

ここは、地獄の標本のようだった。

 

公衆電話ほどの狭い部屋は拷問の部屋。トイレは、1日に5分しか開放されず、大勢の人が詰めかけた。

丸い土台の上に囚人を立たせ、水を注ぎ続ける拷問の説明を読んでいたら、苦しくなった。ただでさえ英語を読むのが苦手な私は、理解するまでに時間がかかる。でも、理解した瞬間に、その苦しみが体に染みついて離れない。英語で解説を読みながらめぐるのって、こんなに苦しいことだったんだ。

長い長い廊下には、たくさんの囚人部屋と拷問部屋が続き、途中で何度も離脱しかけた。

やっとたどり着いた中庭は、本当に小さな空間だった。囚人たちが運動をするための場所として使われていたという。真ん中にベンチがあり、天井には金網が貼られて、逃げ出せないようにしてあった。ここだってとても悲しい場所なのに、さっきまでの拷問部屋から出てくると、空が見えてなんだかほっとした。ほんの小さな空なのだけれど。

 

 

学芸員のおばさんが、順路はこっちよ、と、身振りで案内してくれた。

おばさんの笑顔から察するに、次の部屋はきっと希望のある部屋だろう、と思った。

 

しかし、そこは最も恐ろしい場所だった。処刑場だったのだ。

銃弾や血痕が残る壁、そして地面には今も人骨が残る。最初はなんだかよくわからなかったが、上映されている映像を見て、いてもたってもいられなくなった。

流れ作業によって運ばれてきた囚人が殺され、あたりが血の海になる。その血を水のようにモップでざっざと流す警察官、そしてまた運ばれてくる囚人…

転がるように逃げ出てきて、私は、どうしてもここの館長と話したくなった。

本当は、だれでもよかった。誰かとこの苦しみを共有しないと、自分が押しつぶされそうな気持ち悪さが体に残っていた。

受付のぶっきらぼうなおばさんに、「館長と話したい」と伝えると、表情を変えずに館長室に案内してくれた。

館長は、英語が上手だったのと、とびきりの笑顔を見せてくれたので、私の緊張がとけた。

同時に、館長を責めてしまった。

どうしてこんな残酷な歴史を展示として残すのでしょう?日本では信じられないことです。と。

ちょっと落ち着いてから、私はもう一度、自分が伝えたいことを整理した。

リトアニアの歴史をよく知らずに来たこと。こんな残酷な時代があったことに驚いていること。日本では、このような残酷な資料(とくに映像)は刺激が強すぎるので、博物館では展示していないこと。

そして、一番聞きたかった質問をした。

「この博物館の展示はかなり衝撃的ですが、子どもは何歳から入場することができるのでしょうか。」

館長は、驚くべきことを言った。

「子どもの年齢制限はありません。子どもたちは目を大きく見開いて、この展示を興味深そうに見ていきますよ。この前も小学生が団体で来ました。それは当たり前のことなんです」

 

日本では、衝撃的な展示がどんどん取りやめになっている。広島平和記念資料館の、被爆者の蝋人形は撤去された。戦時中を舞台にした漫画を、衝撃的なシーンや語弊があるから、という理由で閉架にした自治体もある。

私はその本を小学生のときに学校の図書館で読んだんだけどな。

 

しかし私も、「子どもには、衝撃の強いものを見せないようにする」ことが当たりまえだと思っていた。

私が以前勤めていた教育団体では、高校生に衝撃的な映像を見せるとき、事前に告知することが義務となっていた。たとえば、東日本大震災の津波の映像を見て、気分が悪くなる子がいるからだ。

だから、そういった配慮は、年齢うんぬんに関係なく、当たり前だと思っていた。

 

でも、ヨーロッパは違うのだ。

博物館の処刑場には、小さな子どもたちも訪れる。

イギリスのとある小学校では、命の大切さを学ぶために、豚のとさつをみんなで見るという。これらは、保護者の同意も得ているという。

 

社会がそれを「子どもに必要」と考えたら、見せるのが当たりまえの国。

「ショックを受けるものを、子どもには見せない」日本。

どちらがいいのかという問題ではない。

でも、すでに今、インターネットでは衝撃的・性的な映像にいつでもアクセスできるし、ましてやそれは、偏った報道の場合も多い。

だとしたら、日本もいつか変わらざるを得ないのではないだろうか。

公教育の場で、衝撃的な映像教材を使って授業することが迫られるのではないだろうか。

そのとき、子どもたちは耐えられるのだろうか。

親は、その取り組みに協力してくれるのだろうか。