英語を勉強したくなったのは、中国人の友達のおかげ
※登場人物は仮名です。
モンファは、中国人の女の子。私と同い年で、研究者のご主人とともに、アメリカからケンブリッジにやってきた。アメリカに5年住んでいた彼女の英語は、流暢だった。
ケンブリッジで生活を始めたばかりの私にとって、モンファは一番身近な友人だった。
2人で出かけることも多かったけれど、彼女と話をすると、私はすっかり疲れてしまった。
なぜなら、彼女の英語は中国語のアクセントがあったからだ。
さらに、私にはなじみのない慣用句をたくさん使ってしゃべるので、内容を聞き取るのに一苦労だった。
(この慣用句や回りくどい表現は、ユーモアあふれるイギリス人の特徴でもある。
彼女はいったいどこでこのしゃべり方を学んだのだろう)
おまけに、モンファは、私にとても深い質問を投げかけてくるのだ。
「村上春樹の作品で、おすすめを教えて。どうしてその作品が好きなのかも知りたいわ」
「あなたはこの作品のテーマが「孤独」と言ったけれど、その孤独は、日本独特のものなのかな?あなたの意見を教えて。」
是枝監督の「万引き家族」を映画館で一緒に観たときには、日本の性風俗の描写について、また、年金制度についての解説を求められた。
思いもよらない変化球の数々に、私は空まわりし続けた。それが悔しくて、次回彼女に会うときに、図と英文を書いてきてもう1度説明し、リベンジをはかった。
そうまでしても、うまく伝えることはできなかった。もどかしい。
形のないメタファーの世界を、私が伝えようとする日本特有の価値観を、村上春樹の世界観を、彼女は少しでもくみ取ろうとしてくれた。私が描いてきた図や文章を家に持ち帰り、一度読んで次週また新たな疑問を投げかけてくれた。
私が自己醜貌恐怖で心を閉ざしてしまったときも、「気分転換になるようだったら、いつでも連絡してね。電話しよう」とメールしてくれたのは彼女だった。
「あなたの顔は丸いというより、どちらかというとハート形よ」と、よくわからない励ましをくれたのも、彼女だった。
今では懐かしい。
頬の肉がもりあがっているということだろうか、と邪推した当時の自分は、本当に卑屈な人間だった。
彼女と過ごしたのは、たったの2か月だけだった。
モンファは、渡英したばかりで英語がへたくそすぎる私と、なぜかいつも仲良くしてくれた。
花火大会にも、美術館にも、ご飯を食べに行くのも、映画館に行くのも、みんな彼女が誘い出してくれた。
「私は醜い」「失敗して主人に呆れられた」といじけてばかりいる私を、モンファはメールで励ましつづけてくれた。
気づけば2か月はあっという間に過ぎ、彼女は私にクリスマスプレゼントと手紙を残して、ご主人とともにオランダへ発った。
彼女のくれた手紙には、こう書いてあった。
この2か月、仲良くしてくれてありがとう。
あなたとの2か月は、とっても濃密な、興味深いものだったよ。
あなたを見ていると、中国の故事を思い出す。
Still waters run deep
物静かな見た目の内側に、非常に深みのある人柄が隠れている、という意味です。
あなたともっと話したかった。時間があったら、オランダに遊びに来てね。
そうそう、もう一つ送りたい言葉があったんだ。
あなたにあげたクリスマスプレゼント、もう1度よく見て。
木でできた分厚いノートには、Anais Nin という名前が刻まれているよ。
フランスからアメリカに拠点を移した女性作家の名前なの。彼女が残した名言を引用し、あなたに贈ります。
Each friends represents a world in us, a world possibly not born until they arrive, and it is only by this meeting that a new world is born。
この名言、気に入ってくれるといいな。これは、私があなたに会った時に感じた気持ちだよ。
ご主人とともに、この町での生活を楽しんでね。
体に気を付けて。
自信をもって。あなたは、素敵なものをたくさんもっているんだから。
Anais Nin の名言の日本語訳が見つからず、私はこの手紙をずっと引き出しにしまっておいた。
英語でこの名言の解説を探し当てたのは、彼女と別れて半年がたってからのことだった。
「実際に友達に会おうが、本の中で心の友になるような言葉に出会おうが、カフェでばったり出会おうが、家で親密に会おうが、その「出会う」という行為が新しい世界の誕生なのだ。
もしかしたら、その出会いによって、これまでにない、世間からは望まれない価値観が生まれ、迫害されることもあるかもしれない。でも、こうした人との出会いが弧を描き、その弧が重なり合って、人々の価値観を豊かにしていくのだ」
ああ、彼女はこのことが伝えたかったのか。
英語ができない私だけれど、モンファは私を信じて、とびきりの言葉を託してくれた。私なら、きっと将来理解する時が来ると信じ、この言葉を贈ってくれたのだろう。
彼女の機知にとんだトークにきょとんとしていた当時の私。
それでもいつかはこの言葉の意味を理解するだろう。
モンファは私の成長を信じてくれた。それがなによりもうれしかった。
英語ができないことに負い目を感じている私にとって、思いやりのあふれる、最高の応援だった。
残念ながら、長いこと彼女と連絡が取れなくなった。
3月、彼女はオランダ語の語学学校に通っていることを報告してくれた。なんだか夢の中にいるような不思議な気持ちだと話し、クロッカスが咲き乱れる自宅付近の写真や、ミッフィーのイラストを贈ってくれた。
私が英語の絵本を読んで英語を勉強していたから、モンファもオランダ語でミッフィーの絵本を読んで、オランダ語を覚えているのだそうだ。
しかしある日、ユトレヒトで銃撃事件が起こり、モンファに安否の連絡を取った。
そのとき、彼女に元気がないことに気づいた。
理由を話してほしい、力になりたいと話したけれど、「あなたにまで私の暗い気持ちをうつしたくないから」と、話してくれなかった。
私は彼女にメールを送った。読んでくれているのかはわからない。返信はなかった。
私の語学力は上がっている。数か月前は書けなかったような、たくさんのことを英語で書いている。
村上春樹の世界観、日本の性風俗事情、モンファと出かけたあのとき、実は私はこんなことを考えていたんだ、でも、うまく言えなかったけど、あなたが励ましてくれたから、今こうして英語を勉強して、ちょっとは伝えられるようになったよ。
最近、こんなことがあったよ。
…私、モンファが元気なかったら苦しいよ、あのとき私を励ましてくれたみたいに、私もあなたを励ますメッセージが書けたらいいのにな。
うっとうしいと思われようが、私はそんなメッセージを、長い長いメールにして、何度も送った。
彼女みたいに、当たり障りなく、思いやりあふれる言葉が紡げたら一番いいのだけれど。
彼女に「伝えたい」という気持ちから、私は英語の勉強を頑張ってきたけれど、肝心の彼女に伝わらないのが、なんとも悲しい。
ある日、「その後元気にしてる?」と短い文章を送ってみた。すると、彼女から長い長いメールがかえってきた。
「長いことメールができなくてごめんね。やっとオランダ語の語学学校の試験を終えたところ。私は、初めて学ぶ言語に四苦八苦していました。今なら、あなたが英語を話すのに苦しんでいた気持ちがよくわかる。
あなたは元気にしている?最近の様子を聞かせて。
私は、村上春樹の「走ることについて僕が考えること」を読んだわ。とても面白かった。私は形から入るタイプみたい。4月に、ユトレヒトで開かれたマラソン大会に出席しました。
添付された写真は、マラソン大会のときに撮影したモンファの笑顔だった。少しやせた、でも変わらない、モンファのさわやかな笑顔。
そして、キューケンホフ公園のチューリップ畑。見事な鮮やかさだった。
あなたはオランダに来れるかな?来るときは、絶対に教えてね。
また、あなたに会いたい。」
私はまた、あの名言の解説を思い出した。
「実際に友達に会おうが、本の中で心の友になるような言葉に出会おうが、カフェでばったり出会おうが、家で親密に会おうが、その「出会う」という行為が新しい世界の誕生なのだ。
もしかしたら、その出会いによって、これまでにない、世間からは望まれない価値観が生まれ、迫害されることもあるかもしれない。でも、こうした人との出会いが弧を描き、その弧が重なり合って、人々の価値観を豊かにしていくのだ」