イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

なまりとコンプレックスを乗り越えたら、きっと英語がしゃべれる

※ブログに登場する人物の名前は、仮名です。

 

 

 

イギリスに来て1か月が経ったときのできごと。

これまでの体重よりも5キロほど太ってしまった。

大きな鏡で自分の体型を見ることがなかったので、気づいた時にはこんなに増えていた。

「なんかきみ、おなか出すぎじゃない?」

主人にそう言われて鏡をのぞいてみると、いつも以上にでっぱるおなか。妊娠中のよう(妊娠していない)。

そして、顔にも驚いた。写真を撮ってみると、以前以上にしもぶくれが目立つ。重力に負けて垂れ下がる頬の肉が、なんともだらしない。

外食が続き、しかも油っぽいものや芋を中心としたメニューを選び、完食していたせいだろう。おやつには、甘いマフィンやクッキーも食べていた。

 

私の丸くなった顔は、イギリスの人たちの彫りの深い顔と比較すると、一層ひどい。なんて平らで醜いふくらんだ顔をしているのだろう。

そう思い始めたものの、私は家に引きこもることはなかった。ガンガンと外出し、国際的なイベントに参加し続けた。

早く英語ができるようになり、海外でも仲のいい友達を作りたい。でも、そんな気持ちは空回りしつづけた。たどたどしい英語に引け目を感じて、自分からみんなの輪の中に入っていけない。もし親切な誰かが輪の中に入れてくれても、気疲れして1時間ともたずに黙り込む。

そして、日本人の奥さんたちの中にも入っていけない。

気づけば、私は自分のすべてに自信を失っていた。私の顔を見るイギリス人の表情が変だと疑うようになった。私の英語が変だから?それとも、私の顔が太っていて醜いから?

そんなことを考えだすと、周りの誰も信用できなくなる。

中でも、大学の学生、イギリス人のサラの表情を見るのがとても怖かった。

 

彼女はケンブリッジの大学生で、ボランティアサークルに所属していた。

私たちのような外国籍の人たちに週に1度イベントを作り、英語で話す機会を作っている。

彼女は、ミスコンをやったら入賞できるくらいに美しい顔をしていた。体型もすらっとしていて、青い目がきれいで、金髪のストレートヘアーもモデルみたい。そんな彼女を中心に、各国の結婚式のスタイルの話が始まった。

ちょうど私は自分の結婚式の写真を手帳に挟んでいて、それがみんなに見えてしまったことから、結婚式の話になった。

私は、自分のウェディングドレス姿をみんなの前にさらし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

結婚した当時も、かなり太っていて、顔や二の腕がパンパンだったからだ。

「日本スタイルの着物の方が似合ったと思うんだけど、洋風を着てみたかったんだ」ともじもじと話すと、サラはじっと私の目を見て、なにも答えなかった。

私はこのとき、「ああ、サラは、「そんなことないよ、似合うわ」と言うこともできないくらい、私のことを醜いと思っているんだ」と思った。

それ以前にも、サラはじっと私を見つめてくることがよくあった。私が、つたない英語で誰かと話していると、不思議そうに私の顔をのぞきこんだ。

美人特有の、突き刺すような吸い込まれるような視線だった。そして、サラは決して話の輪に混じろうとしない。

そして、残念なことに、サラは私と1対1で話をしてくれないのだ。たとえば、私がサラに挨拶をしても、無視される。ほかのアジア人とは会話をするのに、私には、ニコリともしてくれない。

きっと、アジア人が苦手なのではなく、私のことが嫌いなのだと思った。

 

自分が醜く思えて仕方なくなるこの現象を、自己醜貌恐怖というらしい。

私のこの症状はいよいよ深刻になった。主人が、私の顔をみるたびに「ジャガイモみたい」「饅頭みたい」「丸い」と、悪気なくからかってくるので、どんどん自分の醜さが気になった。

彼に悪気がないとしても、ずっと言われると暗示のように、自分は醜い、取り柄がない、と思い始め、ときどきめそめそとひとり泣くことが多くなった。

日本にいれば、こんなくだらないことにクヨクヨせずに済んだと思う。

友達に電話して愚痴を言えば、友達は必ず「そんなことないよ!」って励ましてくれるのだから。

でも、ここはイギリス。私の落ち込み度がマックスに陥る夜、日本は早朝を迎える。

日本の友人に早朝から私の愚痴で1日を不愉快にさせたくない。

そう思うと、連絡も取れずにいた。

自分に自信を失うと、家事にも集中できなくなる。変なミスを何度も繰り返し、自己嫌悪は一層つのる。

そんな暗黒の2か月が過ぎ、11月になろうとしていた。外に出かけて人と会うことは、やっぱりかなりストレスだったけれど、これをやらないと一生引きこもってしまいそうな気がした。だから、イベントには休まず参加しつづけていた。この日、私は久しぶりにサラと同じテーブルにつき、みんなで話をすることになった。

 

この日、サラの様子がおかしかった。サラは、一言も言葉を発しなかった。

話を振られても、あいづちさえもない。すぐにうつむいてしまう。

なにか気に入らないことでもあったのだろうか。私がここにいるからだろうか。

不思議に思っていると、イギリス人のハナが、大声でサラを叱った。

「サラ!あんた、自分の英語に自信持ちなさいよ、なんなの、さっきから卑屈になっちゃって。」

サラは、顔を真っ赤にして、涙目で答えた。

「だって、私の英語はなまりがあっておかしいから…」

 

そのとき、私はサラはスコットランド出身だということを初めて知った。

サラは、自分のなまりをバカにされるのが嫌で、イギリス人が一緒にいるときは、なるべく話をしないようにしていたのだ。

知らなかった。あんなにきれいなサラがそんな悩みを抱えていたなんて。

名門大学で英文学を学ぶ才色兼備の彼女でも、なまりというコンプレックスを持っていたのだ。

 

このあと、私はサラに面と向かって聞いてみた。

「聞いてもいいかな。あのとき私を無視したのはなぜ?」と。

彼女はちゃんと答えてくれた。

「あのときテーブルにいた人たちは、そんなに英語ができないから、なまりを気にせず自然と話すことができた。でも、あなたはときどき難しい単語を使って英語を話そうとするから。きっと、スコットランドなまりのこともわかっちゃうんじゃないかと思った。だから、話したくなかったの。」

これを聞いたとき、本当に心の底からほっとした。

私を嫌っていたからじゃないんだ。

 

そして、サラは続けた。

 

「あとは、あなたのことがうらやましかった。あなたのしゃべり方は、日本語のアクセントが強いのに、一生懸命伝えようと、いろんな人に話しかけるでしょう?私にはそれができないから、なんだかうらやましかった。」

 

驚いた。私のことを、サラはそんな目で見ていたのだ。

突き刺すような視線は、私を批判するものではなかった。

なんとか自分の力で英語で話をしようとする私の泥臭い奮闘ぶりを、サラはうらやましいと思っていたのだ。

 

 

私の自己醜貌恐怖は、ここから次第におさまっていき、12月には体重ももとに戻った。そして、10月当時の写真をもう1度見てみた。確かに今より丸いけれど、私の顔の丸さは、生まれつきのものだと悟った。体重を落としても、顔の丸みはほとんど変わらなかった。