ビーガンの主張を再考 -イギリス人ビーガンへのインタビューをもとにー
先日の日本での「ビーガンデモ」に対する批判・ひやかしは強烈だった。
しかしそれは、ビーガンの根本的な意見をまったく無視したものではないか?
たしかに、ビーガンの人たちの行動は少し行き過ぎに見える。
肉を食べない→動物愛護(アニマルウェルフェア)に直結するとは思えない。
そして、もし食肉を拒否しても、現代人は動物を犠牲にすることを避けられない。
着るもの、動物実験により作られた薬、化粧品などの恩恵を受けているし、動物園やサーカスはなくならない。彼らはどこまで言及するつもりなのだろう?
しかし、だからといってビーガンをただただ批判するのはおかしいと思う。
昨日、ケンブリッジでビーガンアクションを起こす人たちに会った。
これを機会に、ビーガンの人たちにインタビューをした。
それをもとに考えたことを、ここに記す。
質問1:どうしてビーガンになったのですか?
ビーガンには、2種類のタイプがいる。
環境のためにビーガンを選ぶ人。動物愛護(アニマルウェルフェア)のためにビーガンを選ぶ人。
ここにいる8人は、動物愛護のためにビーガンを選択したと言っていた。
動物愛護を理由にビーガンになる人が多いとも教えてくれた。
「ビーガンの語源はラテン語なの。ベジタリアンやビーガンって、「ベジタブル(野菜)」からきていると思っている人が多いけれど、
ラテン語の「vegetus」つまり、活気のある、健全な(エネルギッシュ)という意味を持っているのよ。
人間にとっても、動物にとっても、健康な生活ができることを目的にしているの。」
一番若い女性が答えてくれた。
「私は小さな娘もいるけど、彼女もビーガンよ。」
質問2:なぜベジタリアンではなく、ビーガンを選んだのですか?
「ベジタリアンは肉を食べないことを徹底しているけれど、ビーガンは動物由来の食べ物をすべて拒否する。これは知っているわよね?
なぜ牛乳や玉子も食べないのかというと。
乳牛やめんどりも、生産性が低下すると殺されるし、数が増えすぎれば維持費が大変だからといって殺される。それに、狭い場所で飼われたり薬やホルモンを投与されて、健康的とはいえない生涯を送る。
そんな動物たちを少しでも減らすために、私たちはビーガンを選択しているの。」
これを聞いて思った。ビーガンの人たちは、悟っているのではないだろうか。
すべての動物の命を救うことはできないことを。
でも、不幸な動物を1匹でも減らしたいという思いから、ビーガンを選択したのではないだろうか。
質問3:ビーガン運動により酪農家が廃業してしまったら、かわいそうではないですか?
50代のかっぷくのいいおばちゃんが答えてくれた。
「農地の使い方を変えて、新たな事業に向かっていけばいいと思う。そうしたらもっと豊かな生き方になるはず。」
私はこの意見に納得できなかった。
過去の記事でも書いたが(※)、私は、全国の酪農家の生き方を尊重したい。牛に並みならぬ愛情を注いで酪農家をしている友人、東日本大震災で全村非難勧告が出された飯舘村の酪農家のことを思うと、彼らの仕事を奪いたくない。
※過去の記事
norevocationnoyo.hatenablog.com
しかし、これについての反論を、別の方のブログで読んだ。
「ある制度は不正であるから、制限・廃止すべきである」という主張に対して「その制度に関連する仕事に従事している人がいるのだから、その制度は廃止すべきではない」と主張しても、それは反論になっていない。
「関連する仕事に従事する人」の存在を理由として制度を存続させることが認められるとすれば、どれだけ不正な制度であっても撤廃することができなくなってしまうからだ」
私はこれにさらに反論したい。
「「ある制度」というのが、「動物を不衛生・不健康な状況に陥れる酪農業」としよう。その制度に関連する仕事に従事する人が廃業になっても、それは仕方のないことだと思う。
しかし、動物に愛情をもって接し、動物の環境や衛生に配慮している酪農家は、彼らと別だ。
ビーガン運動によって、誠実な酪農家の仕事が奪われていいのだろうか。
動物愛護のためにいきなりビーガンになるのではなく、「安全で信頼できる肉」を選択する道から始めてはどうだろうか。
フェアトレードのチョコレートと同じように、「誠実な生産者」のもとで作られた製品を選択して購入する。それが、「よりよく生きる」「命を無駄にしない」ことのスタートではないだろうか。
質問4:行き過ぎな行動は批判を浴びています。たとえば、鶏を農家から助けだして、鶏用のおむつをつけたり、動物病院費用を3000ポンドもかけたり。これについてはどう思いますか?
苦笑いするビーガンのお姉さまたち。
しかしその中の一人が反論する。
「鶏を農家から助け出した、という客観的事実だけ聞くと、私たちがおせっかいでやりすぎな印象を抱くでしょう?でも、このパンフレット見て。」
見るにたえない写真だった。
血まみれで糞尿の中に倒れている子豚と、その子豚を食べている子豚。もう1匹の豚にも、血が付着して、飼育環境は最悪だった。
見出しには「テスコの養豚場で起こっているカーニバリズム(肉食・共食い行動)」。
イギリスで有名なスーパー「テスコ」に肉を卸している養豚場のずさんな飼育環境を伝えていた。
本来豚は肉を食べないのに、こうして共食いをするのは、豚が非常にストレスフルな環境にいるからだと報じられている。
「動物を助け出さねばならないくらい、ずさんな管理の酪農家がいるの。」
これは、私にとって衝撃であり、日本と欧米の違いも感じた。
私たち日本人は、世界でも優れた管理体制をもち、衛生も動物の管理も徹底している。
玉子の美しさがその例だ。ちいさなひび割れを見つけるために、性能のいい機械がひとつひとつ何重にもチェックをし、玉子はほどよい水圧で綺麗に洗浄される。だから、日本の卵には羽根も糞も付いていない。
でも、イギリスの卵は違う。羽根や糞がついたままなので、私たちは箱をパカパカ開いて、綺麗な卵を選んで購入している。
出荷する肉についても然り。
もちろん日本にだって、動物にとってはかわいそうな飼育環境もある。
しっぽが汚れて不衛生にならないように、牛のしっぽを切る酪農家、鶏をとても小さな小屋に押し込んでしまう養鶏所など…
でももし、あのイギリスの豚のように不衛生でずさんな管理体制の酪農家がいれば、すぐに近隣住民が通報するだろう。
私たち日本人からしたら、欧米のビーガニズムは「やりすぎ」に見える。
でもそれは、衛生・管理の水準が高い日本だからこそ言えること。
欧米の人たちは、あまりにずさんな酪農家たちを撲滅するために、世界に警鐘を鳴らしている。
それを忘れてはならない。
まとめ
日本人からすると、欧米の「動物愛護」精神は「やりすぎ」に見える。
それに日本は、お肉も魚も大好きで、いろんな種類の料理を愛する人が大半を占めている。
だからこそ定着しない「ビーガン」の思想、ビーガニズム。
私もビーガンになる気はない。
しかし、彼らの信条に耳を傾けてみると、必ずしも間違ったアクションではないことに気づく。
私たちは、衛生的で安全な食べ物を購入する権利を得るべきだし、無駄に殺されたり、不幸な人生を送る動物を減らしていくべき。これは確かな事実である。
アニマルウェルフェア・ビーガンに関する過去の記事
norevocationnoyo.hatenablog.com
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