イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

書く人と、読む人

母は日本で、90代後半の義理の母の面倒を見ている。

最近、母から毎週のように、イギリスに住む私のもとへエアメールが届く。

メールよりも、手書きの手紙の方が思いを伝えやすいから…と、

丁寧な字で5枚の便せんに、裏表びっしりと文字を書き込んでくれる。

これは、昨日届いた手紙の一部。

 

・・・・

初めてのイギリス生活、結婚生活も同時に始まったばかりで、あんたもよくやってきたね。

始めのころは、なんだか実家に帰りたいものです。

住み慣れた家、親しんだ家族が懐かしく感じられます。

が、日一日と年を追うごとに新しい家族との生活が歴史となって、きずなが深まっていきます。

最初が大変なだけ、あとになると二人で力を合わせたその時が貴重なときとなって思い出されると思います。

 

海外に住むことは、誰にでもできる経験ではないので、生活を楽しんでください。
お母さんも、おまえからのメールや手紙でそちらの様子を聞けることが、今はなによりの楽しみです。

 

今は平凡な日常を送っていますが、いつまでもいつまでもこの穏やかな日常が続くわけではないと、この頃考えるようになりました。

お義母さんの曲がった背骨を毎日見ているので、自分も70代の立派な年よりということを忘れていました。
初夏の美しい安曇野を散歩しながら「こんな平凡な日常も、実は本当に幸せなことなんだよね」と、お父さんと話しています。

 

・・・・

 

 

私がイギリスにいる意味。それは、ただ主人をサポートする、というだけのもの。

そんな卑屈な気持ちが、私の心の片隅にいつもあった。

でも、私がイギリスでの出来事を話すことで、母の、介護を中心とした小さな世界が、ぐっと広がる。

もうすっかり老人になってしまったと母は驚きを隠せずにいるけれど、同時に、私からのメールを読んで、いつかきっとイギリスに行くぞという気持ちも併せ持っている。

 

私が自分の小さな世界を文章にして発信することで、母はイギリスの興味を深める。

図書館でイギリスの本を探してきて読んだり、新聞でイギリスの記事を見つけては私に送ってくれる。

お母さんなりに、自分の世界を広げようとしている。

 

そして、口下手な私が日々母のために紡いできた言葉・考えたことは、

私にも、私の交友関係にもいい影響を与えた。

私の生活は、ほかの駐在妻のように派手な生活ではない。

旅行もしないし、外食もほとんどない。

でも、私の生活を面白がり、友達は絶え間なく連絡をくれた。

今私はブログで見ず知らずの人に発信している。

恥ずかしがり屋で怖がりの私には到底無理だったことが、今できている。

それは、親に書き続けたメールのおかげかもしれない。

友達のあとおしだったかもしれない。

イギリスという風土も、私を大胆にさせたのかもしれない。

日本の凝り固まった価値観に縛られずに表現ができる。

 

いろんな理由が積み重なり、ブログにたどり着いた。

 

客観的に見たら、私の世界は小さな世界。

イギリスに出ても、小ささに変わりはない。

世の中にとっては、たくさんあるうちの1つのブログ。
でも、私にとっては大きな一歩で、これから自分の世界がどんなふうに広がっていくのか、あるいは深まっていくのか、とても楽しみだ。

 

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