イギリスでの習い事 ホームシックと孤独感を振り払う
※登場人物の名前は仮名です。
ある年の10月のこと。パッチワーク初心者かつ日本人の私が
カルチャー教室にひょっこり現れて、先生はさぞかし驚いただろう。
パッチワークの基礎知識のない私のために、先生のジルは私のためにたくさんの時間を割いてくれた。
このパッチワーク教室は、自分が作りたいものを自分のペースで制作し、ジルに指導を乞うスタイルだった。
そのため、私は本を見て気に入ったデザインを決め、自分の技量を考えずに制作に取り掛かった。
ジルは戸惑いを心の中に隠して、根気強く作り方を教えてくれた。
ジルはかつて学校で家庭科の教師をしていたそうで、わかりやすい英語を使って丁寧に教えてくれた。
ジルは20人近い生徒たちにアドバイスをしてまわらなければいけないのに、私のために一緒に布を切ってくれたり、縫い方のデモンストレーションをしてくれた。
ジルが私のために時間を割くことを、よく思わない生徒も何人かいた。
その人たちは、私が作りかけの作品を見て「ここはきっちり正確に測らないとだめなのよ」と顔をしかめたり、私の挨拶を無視した。
大抵の人は親切で、ちょっぴりいじわるな人は2人くらいなのだが、やっぱりしょげる。
ジルは「外国籍の人をよく思わない古典的なご婦人もいるのよ。この教室に来ただけで、いろんな人がいるのがわかるでしょう?まあ、それも経験ね」と、にやっとした。
でも、私は思った。私が嫌われているのは、外国籍だからではない。
初心者の特権を使ってジルを独り占めしているせいだ。
それならば、私にできることはただ1つ。
自分がいかに本気でパッチワークを習いにきているか示すことだった。
「ジルにひいきされているだけの日本人」ではなく、「まだ技術はへたくそだけど、根性で作品を仕上げてきた日本人」として評価されたくて。
私は一生懸命、手縫いで作品を仕上げた。
布は高価なので、いちいち購入できない。
教室の仲間が寄付した端切れの中から、私は明るい柄入りの黄色、赤、紺の布を分けてもらった。
★★★
作品作りに没頭していた時期は、あまり幸せではなかった。
渡英して間もない私と夫は、当時いろんなことで衝突をし、私はほとほと疲れていた。
夫も初めての海外生活で不安だし、私も手際が悪くてイライラさせたのはわかる。
それでも私は結構理不尽なことで怒られたり、家にいろと言われたり、時間を制約されたりしていた。
夫の頭も固くて、物事がうまく進まない時期だった。
生活の中で不便なことがあっても、ほとんど全部自分で解決しなければならなかった。
かといって相談できる相手も近くにいないし、両親はスマートフォンを持っていないので電話もできず。
気の置けない友達たちは次々と妊娠、または子育て中での愚痴に付き合っているどころではない。
そんな私の慰みが、パッチワークだった。
涙を拭きながらチクチクと縫った日々。
夫の帰りが遅く、しんとした部屋で孤独を感じながら黙々と手を動かす。
(我が家は照明が暗く、Wi-Fiもないので音楽や動画を気軽に再生することもできず。イギリスの冬はあっという間に日が落ちる上、天気がいい日はまれなので、雨で心が荒んだ)
こんなだと、日本の家族が恋しくて仕方なくなる。
これまで元気だった父がガンだと判明し、日本の家族への心配が募って恋しさがマックスに到達した時期だった。
※現在父は治療を受けて、完治に向かっています (2020年6月追記)
今まで父母の「娘」という地位に安住していたけれど、気づけば父母も年を取っていて、いつかやってくるお別れの時が、刻刻と迫っているのだと痛感した。
そんなことを一人で考えるのが怖くて、ちくちくと手を動かすことで恐怖をふりはらった。
主人の帰りが遅い夜、しんとしたイギリスの夜。
英語ができない自分、醜く太ってしまった自分が嫌で悔しくて泣きながら縫った日は、あまりに縫い目が汚くて、もう1度やり直した。
パッチワークの縫物は、細かく丁寧が基本なので、心が乱れていると縫い目に表れる。
でも、だからこそ。
心を落ち着かせるために何度も針を握った。
最後の仕上げの段階になると、ジルはミシンを使うことを強くすすめた。
「布を丈夫にするためにも、キルトを長期間維持するためにも、ミシンを使ったほうがいい」と言ってくれたのだが、私はどうしても、「手縫いで仕上げたい」と言い張った。
いびつでも、ほつれても、第1作目はすべて手縫いにしたい。
こうして、私の第一作目は、作業を始めて1か月後にほぼ完成にいたった。
仕上げの段階に入ると、キルト糸が必要になった。
私は自分で買うと言ったが、ジルはみんなに呼びかけた。
「この子、キルティングをするために黄色のキルト糸が必要なの。誰か持っていたら、1メートル寄付してもらえない?」
キルト糸は、買うととても高いのだ。たしか日本円で1000円くらいしたと思う。
みんなが一斉に裁縫箱をあさり、キルト糸を探してくれる。
その中で、私を嫌っていた一人が真っ先に黄色い糸を取り出した。
「ありがとうございます。とても助かります。」とお礼を言うと、
追い払うようなしぐさをして、「いいから早くあっちへ行って」と言われた。
正直、驚いた。
私をあからさまに嫌っている人も含めて、みんなが一斉に裁縫箱をあさり、キルト糸を探してくれた。
私がもし、同じ立場だったら。
嫌いな人間のために自分の大切な糸を分けてあげたりしない。
でも、イギリスは…
困っている人がいたら、分けてあげるのが当然って思っている人が多い。
表面上はやさしく丁寧に接してくれるけれど、実は嫌われていた…なんてパターンは、日本でよくある話。
気持ちいいほど嫌いなそぶりを見せて来るくせに、困っているときに助けてくれる方が、なんだかさっぱりしているなと思った。
その後、完成した作品の展示会をした。
彼女が私の作品をちゃんと見てくれたのかはわからない。
でも、私の根性が少しでも伝わって、糸を貸してくれる気になったのなら、とっても嬉しい。
パッチワークは面白い。
こんなにかわいい柄の布で作られているのに、ここには私の恐怖や不安や孤独が縫い込まれている。
しかも、私を嫌っていたご婦人がくれた糸でできている。
この作品を見るたびに、私は自分の中に起こった、あらゆる気持ちを思い出すのだろう。