イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

イギリス人の笑顔から学んだ、健康的な笑顔

ケンブリッジに住み始めて3か月後、とある日本人の奥さんと知り合った。
彼女はあまり英語が得意でない。

しかし、彼女は自分を卑下することなくイギリス生活を楽しんでいた。
これまで不運続きでしょんぼりしていた私は、彼女の明るい性格と前向きな姿勢に非常に励まされた。

 

彼女は、ケンブリッジの人たちが「笑顔美人」だ、と言った。

「イギリスでは、たくさんの笑顔に出会いますよね。朝会ったとき、お辞儀をする代わりに笑顔、ありがとうの代わりに笑顔、返事の代わりに笑顔。こんなにいい笑顔を自然と作れるなんて、うらやましい」と。

言われてみると、確かに。
彼らは、日本人よりも笑顔を作る頻度が多い。

健康的なくしゃっとした笑顔を見せる。

若い人もおじいちゃんおばあちゃんも、銀行や市役所の窓口でも。

最初からニコニコしているわけではない。

むすっとしたような無表情から、突然最高の笑顔を見せてくれるので、なんとも驚く。

こんなに笑顔を安売りしてもいいのかしら、惚れられちゃったらどうするのかしら。などという私の心配をよそに、ケンブリッジの住民は、言葉を使わずに笑顔で返事をする。
「不安がらなくて大丈夫よ」と言われてる気がしてなんとも心強い。

 

日本人だって、笑顔の場面は多いはずなのに、この違いはなんなのだろう。

 

「営業スマイル」と言われるように。

私たち日本人は、常に笑顔でいることが求められる風潮がある。
営業スマイルを「愛想がいい」とか、「気立てがいい」と評することも多々。
日本にいたときは、気にしたことがなかった。
でも、イギリスはこういう固定観念がない。
お店でも、不愛想な店員が多いのが当たりまえ。

 

でも、ケンブリッジの人たちは、びっきりの笑顔を返事の代わりに使う。

この町に住むと、笑顔の大切さを痛感する。

会釈やお辞儀、尊敬語謙譲語丁寧語、そんなたくさんの技術を駆使しなくても、心からの歓迎の姿勢は示せるんだ。

 

私も笑顔の練習をしてみる。

でも、私の笑顔はどうしてもへらへら。

ちょっと口角の上がりが足りない、中途半端な笑顔。

とびきりの笑顔には程遠い。
まず、相手の目を見てにっこりができない。

恥ずかしがりなのかもしれない。

 

それでも、笑顔の練習をしていたら、いい効果があった。

私は「愛想笑い」を辞めたので、健康的になった。

 

仕事をしていたときは、上司のつまらない冗談に合わせて愛想笑いをし、そのあとの消耗が激しかった。

心無い冗談や皮肉の混じったブラックユーモアに愛想笑いをすること。

それは、誰かを傷つける言動に賛同したこと。

吐き気がするくらい嫌な愛想笑いをして、後悔が止まらず翌日までみけんのしわが消えなかった。

 

 

でも今は、自分が心から面白いと思うことにだけ笑っている。

イギリスでは一人で過ごす時間が多いので、笑う機会は圧倒的に減った。

でも、笑うごとに「幸せ」を深くかみしめることができるようになった。

 

心で感じたことに素直に生きていれば、いつか素敵な笑顔を自然に生み出せるようになるだろう。

 

 

村上春樹の『ノルウェイの森』で、ワタナベくんが、レイコさんのしわについて語るシーンがある。

私はこの描写がとても好きだし、レイコさんのような笑顔の女性になれたらいいなと心から思う

 

とても不思議な感じのする女性だった。顔にはずいぶんたくさんしわがあって、それが目につくのだけれど、しかしそのせいで老けて見えるというわけではなく、かえって逆に年齢を超越した若々しさのようなものがしわによって協調されていた。

そのしわはまるで生まれたときからそこにあったんだといわんばかりに彼女の顔によく馴染んでいた。彼女が笑うとしわも一緒に笑い、彼女がむずかしい顔をするとしわも一緒にむずかしい顔をした。

笑いもむずかしい顔もしないときはしわはどことなく皮肉っぽく、そして温かく顔いっぱいにちらばっていた。(中略)

僕は一目で彼女に好感を持った。