イギリスでも、黙っていられません

海外駐在妻の、世界へ向けたひとりごと

アフリカのインクルーシブ教育を学ぶ

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せっかく手に入った「おうち時間」。

なにをしようか考えたときに、これまでの自身の課題を思い返すこととなった。

 

・イギリスで、「差別や偏見」についてもっと考えたいと思っていた

 

過去記事

 

norevocationnoyo.hatenablog.com

 

 

 

→障がい者の方の運営するカフェ・学習施設のボランティアを希望するが、3か月以上の長期活動ができないという理由で断られた。

教会でのボランティアを探すもなかなか見つからず止まっていた。

それなら、オンライン上でできることはないだろうか?

 

・「「英語を学ぶ」ではなく、「英語で学ぶ」をしたい」

→せっかくイギリスにいるのだから、現地での体験を英語で学びとりたい。

また、現地の大学院に行ってみたいという夢も2年前に持っていた。

なにかオンライン上でできることはないだろうか?

 

こうして見つけたのが、南アフリカの大学が提供するオンライン授業だった。

ここで私は、インクルーシブ教育について学ぶこととなる。

 

 

日本のインクルーシブ教育とは

 

人間の多様性の尊重等を強化し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み

 

 

Wikipedia より

 

特別支援学校や特別支援教室も「インクルーシブ教育」の一貫としてとらえている。

 

南アフリカのインクルーシブ教育とは

 

そもそも、インクルーシブ教育の出発点からして、日本と全く異なった。

アパルトヘイトによってもたらされた人種差別、それによる経済格差などの問題を教訓とし、アパルトヘイト撤廃後の1994年から、差別や格差をなくすために法律が作られ、その中でも人材教育に力が入れられた。

 

人を教育・訓練することによって、平等で民主的、そして効率的な経済を生み出していこう。

そのためには、だれもが平等に教育を受ける権利を持たなくてはならない。

この意識が南アフリカのインクルーシブの根源となっている。

 

日本のインクルーシブ教育と根本的に異なる。

「ハンディを持つ子どもたちも一緒に、そして互いが学び合う・理解し合う」という印象が強い日本のインクルーシブ教育。

一方の南アフリカは、1996年の法制定がスタートだったにも関わらず、急速な意識改革によってよりよい社会の構築を目指す。
まだ根強い人種差別や経済格差が残る中、それを撤廃するために国民総出で教育の質を高め、よいよい人材を育てていこうとする姿勢が活動のあちこちに見られた。

 

 

オンライン授業で学んだこと

 

授業では、南アフリカでインクルーシブ教育の実践をしている教員、ソーシャルワーカー、実際にインクルーシブ教育を受けた人などのインタビューを聞いた。

また、世界の人権に関する法や、南アフリカの行政の取り組みについてパンフレットを読んだりした。

面白いのは、オンラインの授業にも関わらず生徒同士の交流があったこと。

生徒たちは授業の1つ1つにコメントできる。

そして互いのコメントに返信をして議論を重ねることができる。

一人で勉強していたら心が折れていたかもしれないが、

毎回学習ページを開くたびに、ほかの生徒から賛同の声やコメントが入り励みになった。

いびつな英文しか書けないのに、私が考えたこと感じたことを汲み取って、理解しようとしてくれる人がいることがうれしかった。

 

また、あるときは障がいを持つ生徒についてケーススタディし、レポートを書いた。

ハンディを持つ生徒にどんな学習環境を整え、教員や生徒がどんな工夫をし、どんな人たちに協力要請をしたらいいかを議論した。

 

ある日私たちは、片耳が聞こえず、もう片方の耳もあまり聞き取れない女の子のケーススタディをした。
彼女は以前の学校で先生の配慮が不足したために教師へ不信感をもってしまい、さらにはクラスにもなじめず、学習の意欲を失っていた。

そんな子を自分のクラスに迎え入れるとき、なにができるか考えてみよう、というのがその日の課題。

興味深いのは、世界中から意見が集まる点だった。

この講座の履修生は、教員を始め、障がいを持つ子どもの親だったり、ボランティアの経験者だったりと様々。

あらゆる国のあらゆる立場の人たちがとても柔軟な意見を発信する。

 

私は当初、日本における立場しか視野に入らなかった。

日本のほとんどの学校は施設や教育資材に恵まれている。また、学校に部外者(ボランティアすらも)を入れることを極力避けている。学習内容は学期ごと、週ごとに細かく設定されているため、アレンジすることが難しく急いで計画通りに進めていかなければならない。

このような事情を鑑みたうえで、障がいを持つ子どもにどれだけの「合理的配慮」ができるだろうか?

そんなことしか考えられないカタイ頭になっていた。

だから、私がこの聴覚障がいを持つ子に提案できた配慮といえば、

 

  1. 1.教室の配置替え→先生が教室の真ん中で授業。
  2. 生徒も教室の真ん中に出てきて発言:生徒たちの机を高めに設定することで、音が拾いやすい配置に。(この配置は、人前で発表するのが苦手な子どもたちにも場数を踏んで自信をつけてもらうのにも役立つ)
  3. 2.生徒たちで共通のsign languageを使う:賛成は一本指を立てるジェスチャー、など。
  4. 3.先生や保護者で支援対策会議を開き、共通の認識を作る

 

というものだった。

 

しかし、他国の人たちはもっともっと独創的なアイデアを出したり、自分の経験をもとに、回答を深めていた。

 

興味深いのは、

「音が聞き取りやすい器具や設備を作る。」

「器具がなかったら、隣の学校と共有する」

というように、資源を整えようとする姿勢だった。

そういえば、私の全盲の友人も欧米でその恩恵を受けていた。

語学学校がどこかから特殊な機械を仕入れてきて彼を迎え入れる準備をしていた。

南アフリカとなると電子機器のみならず、教室の電気、障がい者用トイレ、スロープなどの設備すらも入手しがたいのだが、そんな環境であったとしても、工夫を欠かさない。

日曜大工が得意なご近所さんの手を借りたり、あらゆる方法で設備を整えようと努力するという。

 

また、すでにインクルーシブ教育の実践経験を持つ受講者が多くて圧倒された。

「私の経験だと、耳の聞こえにくい子はこういう傾向があるから…」と、

親身になって解決策を考える姿勢のレポートが多く、それと対照的な自分の浅い提案が恥ずかしかった。

 

言い訳をさせてもらうと、日本は「合理的配慮」を「特別扱い」というマイナスにとらえてしまう先入観が強いように思う。生徒も、教師も。

生徒は、特別な対応をされて注目されることを嫌がる傾向があるし、教員もそれを配慮して、なるべく自然に、平等に、と装ってしまう。(そんなことないですか?私は特別扱いされるのすごく苦手!)

クラス全体に、「合理的配慮が行われるのは当たり前」という価値観がはぐくまれ、障がいを持つ子もそうでない子も、自分の不自由を言い出しやすい環境を作ることが大切だと痛感した。

 

 

一番の課題は…

 

一番困難な課題は、「どんな度合いの子を受け入れるか」という問題ではなく、私自身の凝り固まった価値観なのだなと実感した。

もちろん南アフリカと日本、世界各国の教育事情は異なるわけで、それを踏まえてできることも制限がかかる。

南アフリカの先生たちは非常に柔軟で、学校スタッフのみならず、ボランティア、民間企業、政府などを巻き込んで教育を展開させていくし、ご近所のコミュニティや他校もフル活用して教育を充実させていく。

まだ根強い偏見を取り払うために近所や家庭を訪問したり、手話の勉強会をしたり、教員の技術を促進するために資格を取らせたり…

英語の語学力が問題で進級できない子どもたちや、就学前、一度も本に触れたことがない子どもたちを一から指導したり、経済困難を抱える親御さんを説得したり…という困難な環境下で、新しいことにどんどん取り組んで、子どもたちどころか社会全体を変えていこうという姿勢がある。

 

逆に私は目の前のことにとらわれすぎていたし、周りの協力を求めて、みんなで問題解決をはかる力が劣っている。

すでに教育関連の仕事を退職してしまい、後悔してもどうにもならないことだけれど、これからのすべての仕事、生き方について、もう少し視野を広げて、失敗を恐れずに挑戦していったら、誰かの手を借りて、さらにいい解決策を考えたり実践することができていたら。

自分の周りどころか、もっと広い世界にも波及してよりよい環境を生み出せるのではないかと、希望が出てきた。